尾燈去ル

生きるための記録。

日常が一番難しい。

仕事と趣味、日常について。

 

引っ越しをした。思った以上に物が多くて、整理して段ボール箱に詰めるのが大変だった。結局、段ボール箱8箱に収まった。

詰めながら、荷物は大きく仕事(学業)の物と趣味の物、日用品に分けられるのだな、と気づいた。(自明だけど)

おおよそ、仕事(学業)1.5箱・趣味 0.5箱・日用品 6箱といった感じで詰め終えた。正直な感想として、自分は日用品をこんなに持ってたんだな、と少し驚いた。

客観的に、絶対量で、自分の所有物を見るというのは、意外と面白くて新鮮だった。(普段はいろんなところに散らばっているから)

 

敷衍して考えれば、日常で自分が行ってる思考なり行動もすべて、仕事・趣味・日常というフレームで考えられるのではないかな、と思った(これも自明ではあるが)

で、自分が所持する物の絶対量に照らして、また、己の普段の生活を省みた上で、そのフレーム(仕事・趣味・日常)で思考なり行動なり全部含めて「自分というモノ」を考えてみると、大半は日常なんだろうなと思った。それも結構な割合で。

 

誰しもがそうではないと思う。仕事人間とか寝食忘れて、みたいな人もいる。(何かを成し遂げるのは大抵そんな人。)

そういう類の人は、日常の占める割合がもっと小さいのだろうか。持ち物にしても、考える事象にしても。

 

でも、それは自分には無理だなと思う。日々の生活の中で細かなことを気にせずに、日常に拘わずには生きていけないから。

多分それは一生変わらないのだろうと思う。

 

たわいのない言葉に笑い転げてはそっと溜め息
巧みに隠された皮肉をよけながら時を過ごして
誰もみんなこんな風に生きているんだし
辛く思えるのはまだ甘えているからね

 

面倒な時には笑顔を浮かべて頷けばいい
疲れてるせいにしてはぐらかせるならそれも素敵ね
忘れることが出来なくちゃ生きてゆけない
胸にしまいこんだ夢がすこしざわめいた

 

篠原美也子『ひとり』