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尾燈去ル

生きるための記録。

熊野古道縦走(大雲取越・小雲取越・小辺路) <中>

那智の滝を出発して熊野本宮大社を経て(大雲取越・小雲取越)、更に熊野本宮大社から高野山を目指した(小辺路)。1日目太地町の前泊を経て、2日目に那智大社から大雲取越を歩いて小口に着いた。

3日目

7時10分起床。民家の裏を抜けて小雲取越へ入った。

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9時45分、桜茶屋跡着。10時30分、石堂茶屋跡着。

11時5分、百間ぐら着。古道から突然素晴らしい眺望が開け、とても心地よい。

小口自然の家で作ってもらった弁当を食う。野沢菜の握りが非常に旨い。

ちなみに、弁当の包装にも百間ぐらが描かれていた。或いは宿を予約するときに、本宮の方に向かう行程を伝えていたからだろうか(本宮から那智への行程では、那智の滝が描かれていたりして?)。

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13時5分、請川着。国道168号線沿いを30分ばかり歩くと熊野本宮に着いた。

これで、熊野三山(熊野速玉大社・熊野那智大社熊野本宮大社)全てに参詣出来た。至る所に八咫烏が描かれ、熊野三山の中では一番規模が大きい。本殿は第一殿から第四殿まであって、三→一→二→四の順でするらしい。あまりこういう形式の寺社は見たことがない。

今回の旅の中で、ここ熊野本宮大社が最も観光客が多かった。(高野山よりも)

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次の2日間で高野山までひたすらの峠越え&野宿2連泊の予定"だった"ので、本宮町のコンビニで買い出し。ノンアルコールビールを飲みながらベンチでgdgdした後、「しもじ本店」でカレーうどんを食う。栄養補給のために汁まで全て飲み干す。正にカレーは飲み物。

古道は本宮大社から奥に続くようだが、一旦古道を外れてしまったのでそのまま川沿いに歩き、ちょうど三軒茶屋跡で古道に合流した。

15時35分、三軒茶屋跡着。文字通りその昔には三軒の茶屋があったらしい。窓や扉はないが、今はしっかりとした屋舎が建っていて、裏にはトイレもある。この日はここで夜を明かさせてもらった。

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4日目

フェレットか小さなイノシシのような生き物に突進され、赤い触手のような物でケツを掘られた。痛い痛い…という夢だった。目覚めると、腰がすごく痛かった。(夢の中のケツの痛みは関連痛と呼べるのか?)

それはともかく、この日は歩かなければならない。計画では、果無峠(1114m)と三浦峠(1070m)を越え、更に伯母子岳(1344m)に登って頂上の避難小屋で夜を明かすはず"だった"。(これはヤマレコの登山録を参考にしたのだが、後人の為言っておくとこの計画はかなり無茶である。)

カロリーメイトひと箱で腹を満たし、4時55分、歩き始めた。舗装道路に沿って歩き、5時35分に果無峠登山口に到着。

日はまだ出ていない。この果無峠は辛かった。この時なにより重かったのが、この日あと2つ峠を残しているということ。1つ目の峠でこんなに体力を削られて果たして伯母子峠にたどり着けるのだろうか…という。糖分補給というより、精神賦活化の為の飴の消費が捗った。

6時すぎに日が出た。雲海が綺麗だった。今この時、紀伊の山奥深くで自分は息しているのだ、そう実感した。

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8時19分、果無峠着。時間がないので、15分ばかりつかの間の休息とると急いで下る。途中、斜面を駆け降りる野生のシカを見た。伯母子岳にかけては、熊も出るらしい。出会わなくてよかった…

10時5分、果無集落着。車で来たらしい小奇麗な観光客が目につく中、一人ジプシーかルンペンかのような出で立ちで水の補給に勤しむ。

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10時30分、柳本橋着。推定15kgの荷物を背負っているからか、割と揺れる。橋を渡り終えると、トンネルを抜けて「昴の里」に着く。ここで休むつもりはなかったのだが、不覚にもアイスの自販機が目に留まってしまい、アイスを2つ食う。自販機のセブンティーンアイスなんて食ったのは、小学生のプール以来だろうか。美味い。

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この後、県道425号線を1時間30分ばかりひたすらに歩く。山登りと違って非常に単調で退屈な道のりで、これはこれでとても辛い。

12時09分、漸く三浦峠登山口に到着。10分で昼食を食って先を急ぐ。もう割とクタクタだったのたのだけれど、ひたすら峠を目指す。果無峠に比べれば少し楽な道程に感じられたのは、既に疲労で感覚が鈍っていたからだろうか。頂上に近づくにつれて少し残雪が見られたが、アイゼンが必要なほどではなかった。

14時47分、三浦峠着。この時点で既に予定より40分近く遅れていた。日が暮れてからの伯母子岳登山を覚悟するか、或いは三浦峠を下りたところで一旦この日は野宿しようか、と悩む。

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16時41分、三浦峠を下り十津川村 五百瀬集落に着いた。集落を抜けて正に今から伯母子峠の登山口に向かおうか、という時に「オイ、オイ、オイ」と後ろから声を掛けられた。

後に考えると、この声に自分は救われた。もしかしたら命すら救われたのかもしれない。

おじさんとおばあさんがそこにいた。おじさんは「山に登るのか?」と聞いてきた。「そうだ」と答えると、おじさんは「残雪で伯母子の頂上にはたどり着けない」と教えてくれた。ちょうどこの日、16人のパーティーが残雪に断念して昼過ぎに下りてきたという。

事前情報で、雪は完全に想定外。自分は夏山装備しか持っていなかった。完全に行き詰ってしまった…

高野山へ行くつもりだったのですが」と言うと、おじさんは「五条までバスで行けば、電車で行ける」と教えてくれた。なんとか高野山へたどり着ける、と思った。

そして、何よりの救いだったのはそのおじさんとおばあさんが民宿を営んでいたことだ。

偶然に導かれるまま、「農家民宿 政所」に。素泊まりだったのだけれど、ご厚意で少しばかり御飯まで頂いた。そして温かいお茶を何杯も頂いた。

古道歩きはここで断念しなければならなくなった。しかし、それよりも高野山まで目途が着いた安心感が上回った。帰れる、助かった、と思った。それ程この日の道程は厳しかった。

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布団に入って考えた。前日の野宿に加えて30キロ歩いた疲労・日没後の登山・頂上付近はおそらく霧・残雪情報はなく雪山装備なし…この条件で残雪が残る伯母子岳に入っていたらどうなっていただろうか。ひょっとしたら新聞の題字を飾ってしまっていたかもしれない…

というのは大袈裟にしても、避難小屋が開かない程の残雪だったというから、少なくとも真夜中に山を引き返す羽目になっていたのは間違いない。本当に救われた。

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